大したことのない話

脳みそに詰まったゴミを吐き出しておく場所

十物語 むちむちキムチ

俺が、島岡氏に指定された都内のハウススタジオの前に着いたのは、指定の時間から少し遅れてのことだった。

 

日は既に傾き、住宅街には長い影が伸びている。

涼しい風を感じながらも、急ぎ足で俺はその場所に向かった。

しかし、汗だくになる必要がなさそうだというのは、遠巻きにでもわかった。

何人かの男女が、待ち合わせ場所である一軒家の玄関前に立っていたからだ。

きっと、まだ鍵が開いてないのだ。

となると、十物語も始まっていないだろう。

 

玄関の前でタブレットを持った、黒っぽい地雷系ファッションをした高校生ほどにもみえる女性が、どこか遠くを見る済ました顔に似合わない、「本日の主役」とかかれたタスキを巻いているのが見えた。

・・・あれが、島岡さんか?

彼女は俺を見ると小さく会釈をして、また元のすまし顔に戻り、手元のタブレットに視線を移してしまった。

俺は彼女に、意を決して話しかける。

 

「Webライターの島岡さん主催の十物語の会場ってここですよね?」

 

「ダー」とだけ答えたのは、目の周りを赤っぽいアイラインで彩った典型的な地雷系メイクをした、美少女。

どこかで彼女のことを見たような、そんな気がする。

島岡氏の記事に出てきた?あるいはWebメディアの編集者か?

ううむ、思い出せない。

 

「しごとがら おしえてほしい おなまえを」

彼女に川柳のように促され、俺は「あ、むちむちキムチです」と面白味のカケラもなく答える。

 

「・・・このままお待ちください。島岡の準備が出来たら始めます。それまでは参加者同士で乳繰り合っててくださいバカヤローコノヤロー」

 

無表情なままそう言うと、彼女はタブレットを操作する作業に戻ってしまった。

 

「あなたも参加者ですか」

 

同じく会場を待っているのだろう眼鏡をかけた壮年の男性が話し掛けてきた。

「雪野大福」と名乗った彼は、カジュアルなジャケットのポケットから小さな箱を取り出すと、底をトントンと叩き白い包装紙に包まれた何かを手の平に出した。

市販の者に見えないからか俺の方へと差し出されたそれを受け取る勇気が、微妙に持てない。

 

「飴です、差し上げます」

 

礼を言って包み紙を解くと、ソフトキャンディのようにフニフニと柔らかい、真っ白な立方体が現れた。

知っているそれと違うのは、それがどの辺も同じ長さだったという点だ。

 

「そんな怖がらなくて大丈夫ですよ、甘くておいしいから」

 

髪の長い女性が、同じ包み紙をひらひらさせて見せびらかした。

白いそれは、淡白な甘みのあるプチプチとした実が含まれていて、そこそこにおいしゅうございましたとさ。

 

「上品な味ですね」と、思わず言葉が漏れると、クスリと彼女は笑った。

 

「ごめんなさいね、一言一句私とおんなじ感想だったから。あ、佐藤聡子って言います、今日はよろしくお願いしますね」

 

長い髪の彼女がそう名乗ると、スマホを見ていたもうひとりの女性も「BBQするアカミミガメ、よろしくさ」と言うと、俺の手を取ってぶんぶんと縦に振った。

背負っているスカスカのリュックが、ふにょふにょと揺れる。

 

「こば全員に聞いとるやざ、食べもんにアレルギーはあるがいね?昆布とか、魚とか」

「いや、特にないです」

「しゃけい!」

 

姿格好はボーダーシャツに紺のオーバーオールという都会風なファッションと裏腹ン、聞きなれない独特の訛。「しゃけい」って何?

だが、少なくとも会話が壊滅的にできないというわけでもなさそうで、俺は少し安心する。

その後他愛のない世間話に話を割かせていると、5分もしないうちに地雷系の彼女は玄関のドアを開けて俺たちを中に促した。

 

「とーりゃんせ、とーりゃんせ、こっちのみーずはあーまいぞ」

 

どこまで素なのかわからない心底やる気のなさそうな声色で歌いながら、玄関のドアが閉まらないように手で押さえている彼女だったが、全員が入ると何も言わずにドアを閉めてしまった。

スタッフなんだろうけど、十物語の会場には居ないのかな。

名前の一つでも聞いておけばよかったと少し後悔していたのだが、大福さんが「おお!」と驚きと喜び交じりの声を上げたので、そんなことはどうでもよくなってしまった。

 

廊下に立っていたのは黒い装束に白い仮面の、背格好の不明瞭な人物。

「ようこそ、十物語へ。他の皆さんは既にお越しいただいてますよ」

電子音声で語り掛ける鎌を模した杖をしたその人物は、まぎれもない島岡氏だった。